みなさんこんにちは。おゆです。
※この記事にはルッキズムの話が出てきます。僕自身は過度なルッキズムを否定するつもりで記事を作成しましたが、心が疲れている方は読んでいて苦しい部分があるかもしれません。ご注意ください。
僕は身長163cmで、某配信者に言わせると人権ラインに届いていない男です。
最近は少しも気にしなくなりましたが(この人権の話題が炎上した時もネタが増えた気で喜んでいました)、昔はよく悩んでいましたね。人なみにルックスについては考えていた人生だと思います。
人間という生き物は、残酷なことに他者をとりあえず見た目で判断する生き物です。
一目惚れなんていうこともあるくらいですからね。優秀な遺伝子をある程度見た目で精査していると。
現代社会において問題視されているルッキズムとどう向き合っていくか、今日はそんな話をしていこうと思います。
若者の間でルッキズムが過度に意識されている現代

現代社会は昔と比べてルッキズムが助長されていると言われています。この項ではその事実と要因について解説していきます。
ルッキズムってそもそもなんなの
ルッキズムは日本語で言うと外見至上主義のことですね。
外見や身体的特徴に基づいて他者を差別する思想のことを意味しています。
最近よく聞くようになった気がしますが、言葉自体は昔からあるみたいです。
冒頭でも触れたように人間を含む視覚を持つ脊椎動物は、無自覚のうちに他者の見た目で接し方を変えてしまう本能があります。自我の無い赤ちゃんの時からそうみたいですね。
しかし過度なルッキズムは多様性の否定や差別へと繋がる危険な思想であることから、現代ではこのルッキズムが問題視されているわけですね。
スマホ・SNSの台頭、自分の姿が写真で残るようになった

若者の間でルッキズムが過度に意識されている背景には、スマホ・SNSの流行があります。
今やスマホをもっていない人ってほとんどいないですよね。そしてそのスマホは競争の中でカメラ性能に注力したものが増えています。下手なコンデジよりスマホの方がいい写真が撮れるのが当たり前の時代です。
誰もが超高精細な写真を簡単に撮れてしまうんですよ。
昔のカメラであればボケて見えなかったような肌荒れやシワ、表情のちょっとした違和感などが残酷なまでにくっきりと残ってしまうんです。
SNSについても恐ろしいもので、そんな高性能なカメラを使って、何十枚何百枚と撮影したものの中から一番写りがいいものを、さらに加工して載せるわけです。正直ほとんど虚像なんですけど、見る人からするとそんな写真で溢れているわけですから、それが普通と感じてしまってもおかしくは無いですよね。
この人たちはこんなに可愛くてキラキラしているのに、鏡に映った自分は何て醜いんだろう。って本気で思っちゃうんですよ。
整形が市民権を得た

そんな大ルッキズム時代、整形などを含む美容医療が注目されるようになるのは当然のことですね。
テレビに出ているような芸能人は整形を公表しないというのが昔の通例でした。昔はなんとなく整形に対してネガティブなイメージが強かったものですが、最近はそうでもありません。
韓国アイドルの流行、インフルエンサーも整形を公表するようになっていますし、若い人たちの中では整形は当たり前のものとして捉えられるようになっています。埋没法での二重整形や系リフト、ヒアルロン酸注入などのプチ整形は、していない人を見つける方が困難なくらい一般的になってきています。
これだけ整形が当たり前のものとなると、全体の美意識がさらに底上げされることになるんですよね。
みんな努力して綺麗になれるわけですからね。よりルッキズムに拍車がかかってしまいます。
外見を気にすることは悪いことなのか?

では、外見を気にすることは全て悪なのかと言うと、僕は懐疑的な意見を持っています。
この項ではなぜそう考えているのかを説明します。
外見の“変化”には必ず行動が伴っているから
最初に理由を説明してしまいますが、人の外見の変化には必ず行動が伴います。行動の元には思考があって、その人の人となりが現れるわけです。だから、外見を全く気にしないことには無理があると思っています。
(ちなみにあくまで外見の“変化“に行動が伴うのであって、外見そのものに必ず因果があるわけではないです。)
綺麗に正しくスーツを着こなす人はよく学ぶ人ですし、痩せている人は食べなすぎで、太っている人は食べすぎています。
派手な格好が好きな人は活動的で他人の考えに左右されない思考の持ち主で、シンプルな服装が好きな人は周りの目に敏感で共感を求めるタイプかもしれません。
その人の考え方が外見には表れているはずです。
であるならば、外見は特に初対面の人の考え方をパッと理解するのに大いに役に立つはずです。ビジネスシーンでスーツが着用されるのは、そういった外見でイメージが左右されることがないように画一的な格好をするためですからね。
どう生きてきて、どう考えるのか
結局のところ外見というのは、その人がどう生きてきて何を考えるのか、これからどう生きていくのかということを表すものです。ルッキズムを全て否定することは、こういった自己実現を否定することでもあります。
そしてその自己実現のために行動するか、行動しないか。行動しないのもまた一つの行動であるということですね。
ただしこれは自分自身がどう生きたいか、ということでしかないんですよね。
他人をどう思うかよりも、自分をどう見せたいかで外見を気にするべきなんです。
そして他人と比較することも全く無意味です。インフルエンサーのキラキラした写真に憧れる必要はないです。自分自身のなりたい自分になればいいんです。昨日の自分よりもほんの少しだけでもいい自分になれればそれでいいんですよ。
僕の仕事はそんな“より良くな入りたい”を手伝う仕事

ファッション業界というのは、そんな自己実現の瞬間に立ち会えるやりがいのある仕事です。
初めておしゃれしようと思ったその時に自社のブランドを選んでもらえると嬉しいですね。
かわいくなりたい、かっこよくなりたいという願望まで“ルッキズム”として片付けられては悲しいですね。
他人のルックスを否定する愚かな人々
個人的には外見を気にすること全てが悪じゃないと思っていますが、間違いなく悪と言い切れる部分もあります。それではここからは僕が思うルッキズムの嫌いなところについて解説していきます。
化粧水すら買ったことがないような人が俳優の見た目に点数をつけている異常さ

僕が万物の中で一番嫌いな事象がこれなんですけど、自分は大して努力していないのに他の人を貶す人っていますよね。男女問わずいるんでしょうけど、僕は男性なので同性のこういう言動が特に目につきます。特におじさん。
スキンケアのスの字も知らないような、知ろうともしないような人が人の容姿を馬鹿にしたり評価しようとするなんてあり得ないですよ。
全く見た目に無頓着な人ほど他人を平気で否定したりするんですけど、これってどれくらい努力しているかわからないからですよね。芸能人は特にそうですし、そうで無い人も綺麗であろうとしている人ってものすごく大変な思いをしています。そんな人の努力を踏み躙って、傷つくような発言をする人が僕はとにかく大嫌いです。
別に全ての人が綺麗であるように努力するべき、とは思わないですが、そうで無いならせめて黙っているべきです。これもまたその人の人柄が、見た目に表れている一例と言えるでしょうね。
外見とは“自分がどうありたいか”の先にあるもの
では、綺麗になる努力をしている人なら人を貶していいのか、というともちろん全くそんなことありません。
そもそも他人の頑張りに口を出すな、っていうことなんですよね。
先ほども書いたように外見を言うのは“自分自身が”どうありたいかで決まるものです。別に他人の見た目に口出しする必要はありません。
他者を否定する道具にしてはいけないんです。
自己満足とは言い切れないが、全ての他人を意識する必要もない

では最後に、ルッキズムとどう向き合っていくべきなのか考えてみようと思います。
見た目の話題になると必ず“見た目なんて自己満足”という意見が出てきます。一理あるかもしれませんが、それはあまりにも無責任だと思っています。なぜならあなたの行動のすべてがそこに現れるわけですから、自己満足で完結させるにはあまりにも他者への影響が大きすぎるんですよね。
人はあなたの外見を見て、あなたの行動を予測します。
あなたの人柄を想像するでしょうし、自分と性格が合うか想像するでしょう。
であるならば、少なからず自分の見た目が他者に与える影響を考えてみる方が人生は生きやすくなるはずです。
ただ一方で、人類80億人全ての人に好かれることは無理であるのも事実です。
必ずあなたのことを嫌いな人がいます。あなたの見た目に嫌悪感を抱く人がいるかもしれません。
でもそんなの気にならないくらいあなたのことを好きな人がいっぱいいます。あなたの努力をわかってくれる人がいます。
嫌な意見に惑わされずに生きるようにしたいですね。
ある程度でも自分磨きをしている時点で十分に素敵なことですし、そんな意識をもっているあなたが世界で一番可愛いんですよ。僕が保証します。
まとめ|あなたは美しい。美しくなくてもいいし。
いかがだったでしょうか。
僕が考えるルッキズムについて、解説と向き合い方を説明してみました。
あなたはとても美しい人です。
でも、美しくなくたっていいんですよ。
自分を一番大切にできるのはこの世で自分だけですから、楽しく生きていきましょう!
今日は以上です!
ありがとうございました!!
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